ウッドマイルズフォーラム2017
「これからの地域は何を目指すべきか~森林・木材・建築を中心に」
(開催概要報告)
日時/2017年7月18日(火)13:30~16:45
場所/文京シビックセンター 26Fスカイホール
主催/一般社団法人ウッドマイルズフォーラム
ウッドマイルズフォーラムでは、木材の地産池消をテーマに、地域材や顔の見える木材を推進してきました。昨今、公共施設への木材利用拡大、グリーンウッド法の成立、木材自給率の向上など、わが国の林業や木材産業は活性化しつつあるように思われます。
一方、人口減少、限界集落、超高齢化社会といった新たな様々な問題が至る所で現実化しており、また、東日本大震災や熊本地震に代表される自然災害も頻発する時代になり、改めて地域社会とは何かを考える必要があるのではないでしょうか。
ウッドマイルズフォーラム2017では、「これからの地域は何を目指すべきか~森林・木材・建築を中心に」をテーマとして、哲学者、内山節氏による特別講演と意見交換会を行い、これからの地域をどのように考えるべきか、何を目指すべきかについて議論を深めました。
会員内外から52名が集まりました。
【特別講演】
『これからの「地域」をどのように考えるべきか』
内山節氏/NPO法人・森づくりフォーラム 代表理事
はじめに
地域とは何かという問いがでてくることは、地域が無くなってしまったからと言ってもいい。私のいる上野村は95%が森林で人口は1300人。明治の町村制移行、合併もせずしっかりとした地域社会が残っている。
国は森林荒廃や地球温暖化防止を理由に全国で間伐を行ってきたが、主伐材のような間伐材がどんどん出てきて、結果として材価も下がり、このまま続けて良いのかどうか。間伐は必要だが樹種による違いや森林問題と林業問題の違いを考えなければならない。また、動物被害も尋常でなくなってきた。シカ、イノシシ、サル、クマ。江戸時代は人と動物の関係はとても厳しく、猟師の活躍や田畑と森林の間に干渉帯となる草原があったことなど、この100年間くらいは人と動物の関係も安定していたが、今は狩猟も減り草原も無くなり動物が増えてくるようになったとも言える。
森林、林業、間伐、地域などは、多角的に全体的に考えないと、個々の対策では誤ることがある。
地域と持続性
上野村は歴史的に水田がなく、かつては養蚕や和紙が主要産業で、今はキノコの生産が農産物では主力。地域社会の人は持続さえできればいいので、昔からその方針はぶれずにやってきた村。人口も横ばいで年齢構成もフラット。
経済振興ではなく持続可能な労働体系をいかにつくるかが重要で、できれば森林資源をつかってやりたい。林業地ではない上野村では現在の山の従事者数はほぼ適正規模で、建築用や木工用として木材を出し、6割程度の未利用材はペレットにしてボイラー燃料や発電燃料として活用している。最終的には砂防ダムの水力も合わせ地域電力100%を目指している。発電は効率のよいガス化方式で、ヒートポンプによりキノコ生産の排熱にも利用している。今各地でやっている民間のバイオマス発電は、採算ベースで規模が大きく原料供給に課題がある。
村の色々な人の経済活動があり、それを束ねたときに経済ではなく持続的な労働体系があり、その中の部分を皆が工夫しながら受け持ち、村全体が一つの社会的企業である、ということを村の方針としていて、なんとなく出来上がってきている。Iターン者も多く集まり視察者も多いが、自然との暮らしや地域エネルギーの利用、コミュニティーの再生など、今の時代に合わせた様々な工夫は必要だが、これからの地域づくりは伝統回帰とも言える。
伝統的な社会とは何か
これからは明治以降の近代化の歴史を問い直す必要がある。伝統社会とは人間が生きていくときに必要な様々な要素で、労働、経済、生活、地域、文化、土着的な信仰などが、分離できない形で一体化している世界。宗教・信仰は明治の翻訳言語で元々の日本語ではないので、江戸時代までは私たちが感じるものとは違う形で存在していた。上野村でも山の神がたくさんいるが、村の暮らしでは信仰ではなく普通に大切と感じる存在。近代社会ではそれらの素要素がバラバラになり、経済が肥大化、暴走して他の所要素を破壊する時代になった。
今は、地域とは何か、暮らしはどうあるべきか等を根本から考え直そうという人も増えてきて、田舎に移住したり、ソーシャルビジネスを始めたりしている。手作業の景色の方が幸せに感じるが機械も手放せないという現状もある。日々の食事の在り方もそうである。これからの時代は、自分はどちらがいいかについて、一人一人答えを迫られる時代になると思う。
改めて地域とは何かを問う
地域は線を引けばできるものではない。上野村に行くと色々な関係があり色々な関係に関わっている。地域社会は一つの関係の網でつくられている。関係が蓄積されていかないと地域社会は形成されない。また、欧米では社会の構成員は生きている人間だけだが、日本の伝統社会(社会も明治の翻訳語だが)は自然も死者も入っている。だから日本は自治が難しく、祭り、年中行事をやってきた。先祖も家の先祖という考えは明治以降で、かつては地域の先祖であった。
今、私たちはどこかで伝統に帰りたくなっている。多層的な関係が積みあがって、全体としてその地域を結んだ労働体系が出来上がっている。それが本当の伝統的な地域の形。そこには外部の人も加わっている。上野村にも外部との関係を含めた多層的な関係がある。かつても行商人や仲買人などを通じて外部との関係があったが、高度経済成長期以降それが無くなってしまったことが地域社会を衰退させたとも言える。
都市で地域社会をつくるのは本当に厳しい。都市が地域社会をつくるためには、人口の流入を止めなければできない。安定した時間を確保することも必要。それが100年、200年続けば、都市なりの地域社会ができると思う。東京は絶えず破壊と再開発が行われ、地域社会をつくるだけの時間的蓄積ができない。建物を見ても、都市は絶えず人間が流れ込み、夜露をしのぐバラックの家を作り続けてきた集積物に過ぎないともいえる。地域社会ができてないところで、建物や材料の良し悪しについて、地域として合意するということも成立し得ないことだと感じる。
【質疑応答・意見交換会】
『これからの「地域」は何を目指すべきか~森林・木材・建築を中心に』
(ゲスト講師)内山節氏
(ウッドマイルズフォーラム)藤本昌也氏 藤原敬氏 松下修氏
顔の見える家づくりを通じた地域や山との関係性
建築は、文化財の世界(特殊)、都市の住宅(量産)、地方の小さな建築(地域)という3つくらいの種類があって、別々に考える必要がある。地域社会があるところでは顔の見える家づくりができていくが、都市部だと森までは見えない。特殊な公共建築には特殊な世界がある。
ハーベスター、チェーンソー、国産材、輸入材、自動車、食べ物、、。地域循環できる世界とそうでない世界のものを分けて考えればよい。全て地域循環で完結できる訳ではなく、外部と結んだ違う世界もあり色々な結び方がある。
都市の中の地域、地域とつながる建築、まちづくり
かつては一度に社会を変える社会変革理論だったが、今は個々が勝手にやって気が付いたら社会が変わっているという理論になってきている。今の若い移住者にとっては田舎の方がフロンティア。上野村も全体として社会的企業と言っているが、上野村型の持続する形を、また、都会の人たちを巻き込んだ形で提示することは、地域や都市での暮らし方の一つのモデルを提示するという社会的使命でもある。都市のような歴史が見えない景色のところではたいへんで、ある種の諦めや覚悟が必要。歴史が見えれば、たどっていけば地域がよみがえる。
デザインを思想の表現と理解すると、伝統的な農山村地域にはとてもよいデザインが残っているがデザイナーは関与していない。農村的デザインは農村的関係がつくらせている。都市部の再開発地域では著名な建築家がデザインしているが、東京は経済・効率の関係性が支配するデザインで一建築家のデザインにはなり得ない。自分の作品ではなくどういう関係性でデザインされているか謙虚にみるべきである。
農山村と都市
戦後の拡大造林による森をどうしていくか。地域での木質資源の利用、森の多面的機能の維持、木材生産、効率・市場経済の都市との付き合い方、木材流通やお金が戻る知恵など考える必要がある。
農山村は都市のために収奪されてきたと思うが、今後は農山村が成立することで都市も成立するという農山村自体が生きていくための糧を見出していかなければならない。現実に農山村はとても疲弊している。上野村のような地域循環の考えは、これから主流にならざるを得ない。
自治体によるまちづくり
森林行政としては建築行政と連携して省エネや環境に配慮した家づくりを応援したい。
ZEHだけでなく、ウッドマイルズや木材調達チェックブックもヒントになる。
公共側のみでは難しく民間は儲かることしかやらないが、事業まではやらないコンサルティング主の民間のまちづくり会社は良いと思う。コーポラティブというやり方もある。住宅需要の把握も必須。
地元の木の家づくり、住宅デザイン、コミュニティー
東京の木材を使った家づくりの活動をやっているが、都市部に家を建ててもらって山にお金を返すという理念は良いか?また、都市部で文化が希薄なので地域の文化を反映した住宅デザインになっていないが、どうすれば良いか。
全国に広がっている貴重な活動だと思うが、距離の視点からは隣県の方が良い場合もあり、都道府県の境界は問い直すことも必要。
エリアの問題はあるが、近い木材は、環境・安全の視点からも優れていて、都市部の多くの人達にそれらのことを発信できることは良いことである。
建築物だけでデザインを考えるのではなく、仕事と生活の形、近所へ開放された土間、近所の子供が遊んでいる庭なども一体で考えるべき。コミュニティーのないところで自分の家だけをいかに工夫しても限界があり、そう簡単には解決しないが、問題提起を続け、問題意識の高い依頼者と一緒に考え続けるしかない。
熊本で6戸の賃貸住宅を建て、一つのコミュニティーづくりを目指して、山とも繋がり畑もつくりという賃貸だが参加型で作った。7年たった今は居住者同士とても濃い関係性が生まれている。都市部の小さなコミュニティーとして、このような在り方もあると思う。
全国の古い住宅地の中には、一生懸命まちの再生に取り組んでいる住民達がいる。いわば町のリフォーム。地域間の意見交換の場も生まれているし、そういう人達を行政や専門家がサポートしていけばよいと思う。
※講演会の話や会場も交えた意見交換の話について、概要を抜粋して掲載しています(事務局)
- 作品名
- フォーラム2017
- 登録日時
- 2017/07/31(月) 12:05
- 分類
- 2017年度