フォーラムについて

会長あいさつ

会長あいさつ

藤本 昌也/公益社団法人日本建築士会連合会名誉会長

『山側から町側の運動へ』

発足時から顧問の立場でウッドマイルズ研究会に参加してきたが、2008年から研究会の会長を引き受けることになった。当時、熊崎前会長から、ウッドマイルズ研究会は私のような山側の人間ではなく町側の人達が主導すべき運動であるので是非お願いしたいと依頼された。地域材や国産材の低迷は山側にもそれなりの責任があるはずで、木材供給者が地域材の使用を強要すべきではないということであった。

私自身、今から20数年前の1982年、雑誌「新建築」に『民家型構法の家』と名付けた最初の住宅を発表し、「今日の混迷した木造住宅業界、木材業界の抜本的改善を図る切り札として、新木造住宅構法『民家型構法』を構想し、提案したい。そして、この『民家型構法の家』をこれからのわが国の木造住宅の一般解として広く普及させたい。」と当時の「木」に対する私の熱い思いを書き記した。その後、その思いを実現すべく、『民家型構法の家』の継続的な実作を通して、様々な木造技術開発に挑戦する一方、川上、川下の合理的連携を可能とする望ましい住宅生産、供給体制のあり方を探り続けてきた。そして、2002年には私たちの活動の成果を総括する意味で、1)森林保全と資源の循環利用に資する(資源管理)、2)自然素材によって構成される(健康住宅)、3)丈夫で長持ちする社会資産として維持される(長寿命)、4)合理的な生産技術と体制により建設される(安定供給、適正価格)、5)風土や歴史を尊重しつつ新しい文化を創造する(地域環境)、という5つの項目からなる、わが国の木造住宅づくりのための「木造住宅建築憲章」を発表した。

町側の木造住宅建築に求められることは実に多様である。ウッドマイルズは当初、各自治体の地域材普及パンフレットや京都府のような木材認証制度への応用など、主に山側からの地域材利用推進策として広がりを見せたが、その後、設計者や工務店といった町側の会員が増えるにつれ、森林の環境保全に貢献したいという住まい手の思いや、木材の品質管理、安定供給、適正価格を求める木造建築のつくり手の要求などに応じて、持続可能な森林経営、木材流通の信頼性、強度や含水率に代表される木材の品質管理など、研究会が取り扱うテーマも多様化していった。2010年にはウッドマイルズ研究会版「木材調達チェックブック」の作成を通じて、産地、流通、省エネ、品質、長寿命という5つのモノサシを使って木材調達をチェックするという提案に至ったのは、地域材を取り扱う町側の運動として必然的なことでもあった。

研究会の今後の活動方針について関係者による活発な議論を行っていきたいが、住宅性能表示制度や耐震基準、省エネルギー基準の将来的な義務化など、定量的な基準が次々に登場している木造住宅建築において、今後はより定性的な思想や価値観が求められるのではないかと思っている。地域材の利用推進においても、環境負荷といった定量的な指標に加えて、誰もが納得する定性的な思想や価値観を見出すべきであり、ウッドマイルズ研究会もその一翼を担っていけないかと考えている。

前会長あいさつ

熊崎 実/一般社団法人日本木質ペレット協会会長

『 ウッドマイルズ研究会発足時のこと』

ウッドマイルズ研究会を生み出した母体は岐阜県立森林アカデミーの木造建築スタジオである。その当時のことを少し述べておきたい。

このアカデミーが開校するのは2001年4月のことだが、開学の準備はその数年前から始まっていた。学校設立のお手伝いを頼まれていた私は、どんな学校にしたらよいのか、いろいろと思いを巡らせていたものである。時期的には「近くの山の木で家をつくる運動」が盛り上がっていたころのことだ。もともとこの運動は日本の森林・林業を憂える建築家の皆さんのイニシアティブで始まったものだが、いつの間にか私もこの渦の中に巻き込まれていた。

「近山」運動の狙いは何であったか。主唱者の一人、小池一三さんの言を借りれば「山と町と人と資源を、家づくりを通して、つなぎ、結び、互いが理解を深め、健全な山を取り戻す」ことだという。われわれのアカデミーも、木の国の岐阜県で、木材流通の上流と下流、山と町の連携に一役買うことができれば、本当に素晴らしいことだ。この学校の名称からも推察されるように、教育の中心は「森づくり」であるが、私はこれと並ぶ太い柱として木による「家づくり」を据えた。というのも大学や高校における建築関係の専門教育の中で、木造建築についての本格的な講義が非常に少ないという現状認識があったからである。他方、林学科や林産学科は伝統的に木造建築までは含めていなかった。教育の現場でも川上と川下の断絶があったと言っていい。

アカデミーのこうした期待を担って発足したのが、三澤文子さんが主宰する木造建築スタジオである。その一期生の一人が滝口泰弘さんで、ウッドマイルズの考え方を建築設計に取り込むことを卒業研究の課題としていた。やがてウッドマイルズの提唱者である藤原敬さんの呼びかけにより、研究会発足の機運が一気に盛り上がったように思う。私が会長に祭り上げられたのは、たまたまアカデミーの学長を務めていたからであろう。

私の意識としては、ウッドマイルズは「近山」運動の延長線上にあった。家づくりの現場から山までの物理的な距離を表す客観的な指標がウッドマイルズであるからである。残念なことにNPO法人「緑の列島ネットワーク」が進める「近山」運動は、全国的なネットワークをつくるという目標を達成しないままに、立ち消えになってしまった。しかしその精神は全国の各地で受け継がれている。ウッドマイルズ研究会もその正当な継承者の一つであることは間違いない。

「近山」運動にはさまざまな人たちが参加して、活発な論議が交わされていた。傾聴に値する論議も少なくなかった。そうした記憶は年とともに薄れてきているが、幸いなことに『近くの山の木で家をつくる運動宣言』(農文協、2001年10月刊)が残されている。当時の多様な論議を踏まえて小池さんがまとめたものだ。「近山」運動の理念をこれほど要領よく、包括的にまとめた書物はほかに見当たらない。本研究会の若い人たちには、ぜひとも読んでいただきたいと思う。「ウッドマイルズ」の原点がここにあるからである。

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